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人生一発逆転の発想法-Wワークで勝利を目指す

自営の金物店とアルバイトのWワーク人生を綴っていきます。

優勝回数ゼロで横綱昇進の双羽黒

昔、優勝回数ゼロで横綱昇進した
双羽黒という力士がいました。

双羽黒(北尾)はいろいろと問題の多い力士でした。

部屋でいろいろあり、付き人を殴ったり、
女将さんを殴って逃走したりしました。

当時の相撲協会横綱千代の富士1人だったために、
どうしても横綱が欲しかった。

横綱昇進の条件は、2場所連続優勝か
それに準ずる成績という規定があります。

1986年7月場所、横綱審議委員会が開催されて、
北尾の横綱昇進がきまりました。
1986年5月場所は12勝3敗(優勝次点)
7月場所は14勝1敗と2場所続けて千秋楽まで
優勝争いに絡む活躍を見せましたことを評価。

しかし、稲葉修だけは
「(幕内)優勝経験が一度も無い力士が(横綱に)なるのはおかしい」
「身体は文句無しだが、精神面に甘さがある」と述べた。

横綱昇進後は合計3場所(1986年11月・1987年1月・同年11月)で
千秋楽まで優勝争いに絡んだものの、
その3回全てで最後は千代の富士に敗れて幕内最高優勝は果たせなかった。

特に対戦してだった千代の富士がその実力を認め、
「もし(双羽黒が)廃業していなかったら、自分は横綱の地位にこれだけ長く留まれていたのか。
その後の53連勝や通算1000勝も達成出来たかどうかはわからない」と
素質と強さを認めるコメントがある。

双羽黒の対千代の富士戦は通算で6勝8敗(他に決定戦2敗)、
横綱昇進後は2勝3敗(決定戦1敗)と健闘している。

何故廃業ではなく引退だったのか?
先代は協会からも少々疎まれていた存在らしく、
そんな事で大方の事実を知る協会は双羽黒に、
退職金の出る引退という扱いを行ったようです。

そして現親方が継承後、

晴れて当時世話になった元横綱を戻したというのが本当の話です。


除名になるところ、何故廃業ではなく引退だったのか?

退職金も出ました。
何故廃業ではなく引退だったのか?
双羽黒の収入を親方が随分と横領していたようです。